アジアの経済成長をリードしてきた輸出の勢いに最近かげりがみられる。中国の上半期の輸出が大きく減少したのをはじめ、韓国・台湾・タイの輸出が伸びを鈍化させている。背景には、最近の円安・ドル高とアジア各国の国内コストの上昇などで、アジア諸国の対日輸出競争力にかげりが出てきたこと、中国の増値税還付問題などがあるが、なんといっても大きいのは、世界的なハイテク産業の生産調整が、域内経済の垂直的統合メカニズムを通じて、アジア各国の輸出に「芋づる式」に悪影響をもたらしていることである。アジア経済の強みのひとつであった域内経済の相互依存度の高さが裏目に出たかたちとなった。
もう二年前になるが、アジア経済の将来性については楽観的な見方が一般的であったなかで、ポール・クルーグマンという経済学者がそれに水をぶっかけた。アジア各国のGDPを労働投入量と資本投入量の二つで要因分解すると、この二つの要因だけでアジア経済の成長は統計的に説明できてしまうといったのである。先進工業国経済では、この二つの要因では説明しきれない部分(残余、全要素生産性)が残るのが普通であり、これは技術進歩に起因するものと考えられている。アジア経済にはこれが存在しないということは、技術進歩が経済発展に貢献するメカニズがないということであり、これはかつてのソ連経済にもみられた現象で、アジア経済の奇跡の成長もやがては限界に突き当たらざるを得ないとの論旨であった。
興味深い分析であったが、アジア各国はこれに強く反発した。曰く、アジアには、かつてのソ連と違って市場メカニズムがちゃんと機能している、外国からの直接投資の受け入れを通じて、機械に一体化された技術の移転がある、アジアのことは欧米人にはわからない等々、やや感情的な反論もあった。
たしかに最近のアジアの諸国には自信がみなぎっている。「もう欧米のお説教は聞きたくない」との声すら聞こえる。このクルーグマンの回帰分析についても、分析手法が普通の人には理解しにくいものであっただけに、結論部分だけをとり上げて議論がなされた。今となっては、これでよかったのかと疑問が残る。われわれに必要だったのはもう少し謙虚にアジア経済の限界、ボトルネックの存在を自覚し、その持続的発展の為にやらねばならぬことを考えることではなかったか。アジア経済のボトルネック要因としては、電力、港湾、輸送などのインフラ問題があることが広く認識されている。本来インフラの整備は各国政府の仕事である。しかし種々の事情があり、最近は「民活インフラ」と称して外国企業にまる投げするケースも増えてきている。
しかし、もっと重要で整備が必要とされるインフラに、社会の制度・システムがある。経済成長は、ある意味では社会的均衡を崩す現象である。その過程で生じてくる無数の摩擦やトラブルに妥当な解を見いだすシステムが、自由市場経済、公正で透明な行政、それに民主主義システムにほかならない。民主主義は経済成長の「条件」なのである。このインフラの建設ばかりは、「まる投げ民活」ではできない。自分でやらねばならない。
(橋本 尚幸)